「節分」~私たちの『魂』の中には「鬼」がいる

プレシオスの鎖を解く

「福は内!」「鬼も内!」

2月3日は節分です。節分の日には昔から「豆まき」をする風習があります。子供の頃から「福は内、鬼は外」と教えられて、長年何も考えずに「福は内!鬼は外!」と豆まきをしてきました。

ところが、ある時から「節分って何?」「『鬼』って何?」、「なぜ豆をまくの?」と疑問を持ち、自分で調べたり考えるようになりました。節分の謂れについては調べればいくらでも情報が手に入る時代ですので、ここでは割愛させていただきます。

2023年の節分。この日を前にして新たな真実を教えられました。

「魂」という文字は「こころ」とも「精神」とも「スピリット」とも呼ばれ、古神道では、心を「一霊四魂」という「4つの魂」として説いています。その4つの魂とは次の通りです。

『一霊四魂』
・「荒魂(あらみたま)」は「勇」・・・・・・行動する力
・「和魂(にぎみたま)」は「親」・・・・・・調和する力
・「幸魂(さきみたま)」は「愛」・・・・・・育成する力
・「奇魂(くしみたま)」は「智」・・・・・・探求する力

この四魂を省みる力を「直霊(なおひ)」といい、
この「直霊」が歪み偏ると、「曲霊(まがひ)」となり、
争う気持ちや、嫉妬する気持ちで心が病むといわれています。

『魂』という漢字は「云」とい「鬼」から作られています。

「雲」という漢字では「雨」の下に「云」と書きますが、この「云」の文字は「循環」を表します。山に雨が降って川となって海に流れ着き、蒸発して雲になる。そして雲はまた雨にと、「循環」しています。

ということは、「鬼」の「循環」が『魂』ということになります。

私たちの中には「鬼」が存在する。

・自分の中にある鬼のような感情を手放したいと考える人は 
  → 「福は内! 鬼は外!」

・自分の中にある鬼のような感情をぐっとおさめて鍛錬していこうと考える人は
  → 「福は内! 鬼も内!」

夜叉が毘沙門天に陽転したり、鬼女が鬼子母神という神となったように、心を鍛錬することにより鬼神を自分の中に宿しながら目醒めていくこともできるのです。

日本人が太古からDNAに受け継いできた「大和魂(やまとだましい)」とは「調和」を表しています。目の前で繰り広げられる様々な「善」と「悪」という比較やジャッジを「豆まき」のように手放していくことが、新しい時代に、次のステージへと大きく飛躍するためのひとつの方法だと思うのです。

鬼ごっこ ~宮澤賢治「さいかち淵」より

 しゅっこは、しばらくきまり悪さうに、しゃがんで水を見てゐたけれど、たうたう立って、
「鬼っこしないか。」と云った。「する、する。」みんなは叫んで、じゃんけんをするために、水の中から手を出した。泳いでゐたものは、急いでせいの立つところまで行って手を出した。しゅっこが、ぼくにもはいらないかと云ったから、もちろんぼくは、はじめから怒ってゐたのでもないし、すぐに手を出した。しゅっこは、はじめに、昨日あの変な鼻の尖った人の上って行った崖の下の、青いぬるぬるした粘土のところを根っこにきめた。そこに取りついてゐれば、鬼は押へることができない。それから、はさみ無しの一人まけかちで、じゃんけんをした。ところが、悦治はひとりはさみを出したので、みんなにうんとはやされたほかに鬼になった。それからぼくらは、砂っぱの上や淵を、あっちへ行ったり、こっちへ来たり、押へたり押へられたり、何べんも鬼っこをした。
宮澤賢治+「さいかち淵」より

宮澤賢治の作品の中で、「鬼」が登場するのは童話「さいかち淵」の一場面。主人公の友達で一番仲良しの「舜一(しゅんいち)」は、皆から「しゅっこ」と呼ばれている。そう呼ばれても舜一は少しも怒らない。「八月十四日」という見出しで書かれたこの日も、舜一を含めた友達と一緒にさいかち淵に出かけて行って泳いだり、鬼ごっこをして遊んでいるという話です。

この「さいかち淵」は、後に大幅に手を加えられて童話「風の又三郎」の一部に組み込まれることになります。

鬼も一緒にあそぼ!

節分草(武蔵丘陵森林公園にて撮影)
  鬼ごっこ            

覚えているかい
風を追いかけて走り回っていたころを
頬が夕焼け雲に染まっても
ご飯だよと叱られるまで
いつまでも遊び続けていた日々を

覚えているかい
まっすぐに何にでも話しかけていたころを
花や小鳥や虫、雲や風にさえも
素直に泣いて素直に仲直りした
そうさ誰ひとり悪くはなかった

覚えているかい
ちいさな両手に握っていた夢のかたちを
大人があこがれだったころを
宝物のありかは秘密基地の中に
ひとりじゃできなかった鬼ごっこ

行く先も分からず急かされて乗り込んだ列車
いつから軌道を外れてしまったのだろう
車窓から見える景色は
みんな同じになれと教えるマトリックス

自分の価値を他の誰かと較べる悪い癖
自分を守るために誰かを悪者にする正義
そんなもの いい加減捨ててしまいなさい
あのころは そんなものなくても
生きているだけで毎日が楽しかったじゃないか

(詩・文豪みにゃざわ「鬼ごっこ」)
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