八重咲き日本水仙

みどりいろの通信

学名:Narcissus tazetta L.` plenus ‘

英名:narcissus

別名:八重水仙、八重房日本水仙、雪中花、金盞銀台(キンセンギンダイ)

 2023年小寒を過ぎ、これから寒さも一層厳しくなっていく季節ですが、今年も我が家の庭には、八重咲きの日本水仙の花が咲き出しました。寒さの中、小さな太陽に出会えたかのように気持ちが温かくなりますね。

今回も宮澤賢治の詩の中から、「水仙」が登場する詩を紹介します。

東北の農村が貧しかった時代。まだ見たことのないような西洋の珍しい花や野菜を自分の畑で育てていた賢治の心象スケッチです。元気な朝の子供たちの声が聞こえてくるようですが、いつの時代も子どもは人の眼を気にせず、好奇心旺盛で、素直でまっすぐに毎日を生きているよなぁと、すっかり大人になってしまった私は自省してしまいます。

『水仙をかつぎ』

水仙をかつぎ
    白と黄との
やあお早う
  ・・・・・・わらひにかゞやく村農ヤコブ・・・・・・
ぼくもいまヒアシンスを売って来たのです
ふう
あゝ玉菜苗
千川べりへ植へ付けますが
 洪水をかぶればそれっきりです
やあお早う
いゝお天気です
   松の並木の影
   犬 黄いろなむく犬め
     鳥の声 鳥の声
朝日のなかから
学校行きのこどもらが
もずのやうに叫んで飛び出してくる

(詩・宮澤賢治『水仙をかつぎ』 【新】校本 宮澤賢治全集第4巻 詩[Ⅲ]より)

この『水仙かつぎ』の詩は「詩ノート」に書かれていますが、この詩が発展して詩稿用紙に書き直された形が「春と修羅 第三集」の『市場帰り』や『同心町の夜あけがた』、また文語詩稿『村道』になります。

『市場帰り』

雪と牛酪(バター)を
かついで来るのは詮之助
  やあお早う
あたまひかって過ぎるのは
枝を杖つく村老ヤコブ
  お天気ですな まっ青ですな
並木の影を
犬が黄いろに走って行く
  お早うよ
朝日のなかから
かばんをさげたこどもらが
みんな叫んで飛び出してくる

(【新】校本 宮澤賢治全集第4巻 春と修羅 第三集より)
『同心町の夜あけがた』

同心町の夜あけがた
一列の淡い電燈
春めいた浅葱いろしたもやのなかから
ぼんやりけぶる東のそらの
海泡石のこっちの方を
馬をひいてわたくしにならび
町をさしてあるきながら
程吉はまた橫眼でみる
わたくしのレアカーのなかの
青い雪菜が原因ならば
それは一種の嫉視であるが
乾いて軽く明日は消える
切りとってきた六本の
ヒアシンスの穂が原因ならば
それもなかばは嫉視であって
わたくしはそれを作らなければそれで済む
どんな奇怪な考が
わたくしにあるかをはかりかねて
さういふふうに見るならば
それは懼(おそ)れて見るといふ
わたくしはもっと明らかに物を云ひ
あたり前にしばらく行動すれば
間もなくそれは消えるであらう
われわれ学校を出て来たもの
われわれ町に育ったもの
われわれ月給をとったことのあるもの
それ全体への疑ひや
漠然とした反感ならば
容易にこれは抜き得ない
  向ふの坂の下り口で
  犬が三匹じゃれてゐる
  子供が一人ぽろっと出る
  あすこまで行けば
  あのこどもが
  わたくしのヒアシンスの花を
  呉れ呉れといって叫ぶのは
  いつもの朝の恒例である
見給へ新らしい伯林青を
じぶんでこてこて塗りあげて
置きすてられたその屋台店の主人は
あの胡桃の木の枝をひろげる
裏の小さな石屋根の下で
これからねむるのではないか

(【新】校本 宮澤賢治全集第4巻 詩[Ⅲ] 春と修羅 第三集より)
『村道』

朝日かゞやく水仙を、     になひてくるは詮之助、

あたまひかりて過ぎ行くは、  枝を杖つく村老ヤコブ



影と並木のだんだらを、    犬レオナルド足織れば、

売り酒のみて熊之進、     赤眼に店をばあくるなり。

([新]校本 宮澤賢治全集第7巻 詩[Ⅵ] 文語詩稿より)
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